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CDジャケットの作成&読売新聞に情報掲載 [その他]

イラストを10点ほど描かせて頂いた、府中市在住の
ケーナ奏者・柳和男さんのアルバムに関する記事が、
12月7日付の読売新聞(朝刊)多摩版に掲載されました。

取材時には私も同席させて頂きましたが、終始穏やかな
良い雰囲気でした。沢山の方がCDに興味を持って下さると
いいな、と願っています。
音楽CD「森からきこえる」は2017年12月13日に
発売されています。Amazonや全国のCDショップで
販売されているそうです。宜しくお願い致します。

(府中を描いた作品ではありませんが、市内在住の奏者さんが
発売する関係で、こちらのブログでもお伝えしています)

かずくん読売記事100.jpg

一般の方用チラシ200拡大図.jpg

かずくん音楽CD全体像.jpg
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個展開催しました [その他]

2017年1月14日(土)~22日(日)に
グリーンプラザ分館ギャラリーで個展
『かぶらぎみなこイラスト展 府中を描く』を開催しました。

約1162時間かけて描いた、府中のイラストマップ(修正版)や
今までのお仕事作品など、多彩なラインナップを展示しました。
いらして下さった皆様、ありがとうございました。

かぶらぎみなこ イラスト展チラシ.jpg

広報ふちゅう記事20170111.jpg

グリーン展示会風景2.jpg


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家系図作成から読み解く、府中の歴史 [その他]

2016年7月

この年の夏、少し思う所があって
家系図を作成してみる事にしました。

当初は親族の中の年長者から、口頭で聞き取りをしたり
菩提寺にあるお墓から情報を得たりしたのですが
それだとどうも少し曖昧な点が残りました。
なので市役所に行って「家系図を作成したい場合は
どの資料を、どのように申請すればいいのか」を相談してみました。

すると一つの家族の歴史だけではなく、思いがけず
府中市の変換も垣間見ることが出来たので
この章ではその顛末を少し綴ってみます。

まず受付にいくと担当の方(年配男性)が、とても親切に
話を聞いて下さり「それなら戸籍を取る事ですね」と教えてくれました。
ちなみに我が家は分家筋なのですが
「直系の親族であれば(本家の戸籍を取る事は)大丈夫」との事。
但し世帯主が変更になるたびに、各世帯主の戸籍を取る必要がある為
「その都度、申請書を書いて提出する事」と言われました。

受付の方が言う事には「その家系がこの土地に
住み始めた時まで戸籍は遡れますが、ただ戸籍制度自体が
発足したのが明治になってからなので、それより古い記録は
市役所の方には残っていません。それ以前の物は
お寺の過去帳などを調べるのがいいかもしれないですね」と
教えてくれました。

古い戸籍写真.jpg
(注:住所や個人名がわかる部分は、一部修正しています)

幸い、調べてもらうと我が家の場合は戸籍制度の発足時まで
遡って戸籍を取ることが出来ました。
しかし、出てきたものを見てビックリ。
当たり前だけど、毛筆で手書き。しかもほぼ全文、漢字表記です。
一瞬「これは…漢詩?それとも漢文か!?」と、思わずひるんで
しまうぐらい、読み解くのが困難な代物でした。

受付担当の方も、これほど古い戸籍を見る機会はあまりないのか
心なしか楽しそうで「生年月日が文政とか、嘉永の人がいますよ!
ああ、それにすごい癖字ですね。この時代は戸籍を人に見せて
読ませると言う意識がないから、字も荒いんですねぇ」と言いながら
「頑張って読み解いて下さいね」と大量の資料を手渡してくれました。

何故戸籍が大量になったかと言うと…昔は兄弟が多かったため
家族もたくさんなのと、(うちの場合は)世帯主も
3代前まで遡れたせいでした。
(なので申請書も3枚書いて提出しました)

そしてこの古い戸籍資料から府中市を見ると…
明治11年11月2日に作成されたらしい、最古の戸籍では
府中市はもはや東京都ではなく
「神奈川県 北多摩群 府中駅」と表記されていました。
以前「明治の頃、府中は東京ではなく神奈川の一部だった」と言う話を
耳にした事はあったのですが、これをみて「本当だったんだ」と確信。
府中市民が、神奈川県民だったとは…何となく不思議な感覚です。
そし「駅」と言う住居表示が使われていた時代だったんですね。
これもまた新鮮でした。

ちなみに住所も、今の様に例えば宮町5-3-47とかではなく
ただ「府中駅 五千参百四拾七番地」と言う風に
漢数字のみで記されていました。

また記載されている人々の名前も
清左衛門さんとか、次郎兵衛さんとか、いかにも
「絶対、ちょん髷を結っていそうな」名前ですし
生年月日はわかる範囲で、文政4年と言う
今からざっと195年ぐらい前に生まれた人まで
分かる事が可能でした。
それ以前の方の生没年は不明ですが
名前だけはその先3代ぐらい前まで判明できました。

その後、明治41年頃に作成された戸籍では、府中市は
東京になっていますが、まだ「東京都」ではなく「東京府」です。
「東京府 北多摩群 府中町」
この頃の表記です。(ちなみに番地は変わらず
五千参百四拾七番地…と言う、書かれ方です。
でもこの時点で「駅」と言う表記は消えています)

更に進んで、昭和18年頃に作成された戸籍では
府中市は「東京府 北多摩群 府中町」のままですが、
(少し文字がかすんで正確には読み解けないものの)
どうやら戦後、昭和30年代には「府中市」になったらしく
途中から戸籍の住所が訂正されていて
「東京都 府中市 宮町 参丁目弐拾八番地の壱」と言う様な
今現在使用されている表記になっています。
(編集注:1954年(昭和29年)4月1日に「府中市」が誕生したそうです。
ちなみに東京が「都」になったのは、その10年以上前の
1943年7月1日の様です)

神奈川県から東京府、そして東京都へ。
府中駅から府中町、そして府中市へ。

個人の戸籍からでも、街の変換の様子が良くわかり
なかなか興味深いです。
余談ですが、住所表記や、生年月日以外にも
戸籍から読み解けるものがあります。例えば我が家には
戦時中、近衛兵だった大叔父がいるのですが
この方の戦死報告なども「近衛騎兵隊 隊長〇〇報告」と言う風に
詳細が書かれていて、どこでどのように戦ったのかなど
背景を読み解くことも出来ます。

ちなみに明治より古い歴史になると…我が家の菩提寺にある
先祖代々のお墓で(読み取れる範囲で一番古い表記の物には)
「元禄」の文字が書かれています。
元禄時代は大ざっぱに換算して、ざっと300~400年ぐらい前かと。
(大ざっぱ過ぎてすみません)
それより古い物は風化して文字が消え、石の塊となっているので
読み解くことが出来ません。
そこでお坊さんに「過去帳」を見せて頂こうと思ったのですが…。

お坊さん曰く、昔は「過去帳」は閲覧可能だったそうですが
今は仏門界全体で閲覧禁止のお達しが出ているので
不可能だそうです。
「トラブルも色々ある為、檀家の方にもお見せできないんですよ」
と、やんわり言われました。
もしかしたら、こんな所にも個人情報保護の波が?
けれど、どうやら個々人の家の過去帳と言うものはない様で
お寺全体の過去帳が存在している状態の様です。
そう言われてみると、確かに閲覧にも色々規制が
かかるのも、今の時代仕方がないかもしれません。

ちなみにこの菩提寺は貞観元年(859年)に開山している古刹です。
その中にある、個人のお墓が元禄(もしくはそれ以前)から
存在していると言う事を考えると
「まぁ府中はやっぱり古い土地なのね」と、言う事実が
垣間見られる気もします。

とは言え、さすがに甥が言うように恐竜時代からの存在は
難しいかもしれないですね。

我が家の家系図1.jpg


我が家の家系図2.jpg


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